アフィリエイトこまち

何年に一度か振り返りの長文が更新されるタイムカプセルブログです。

外圧に屈し、とてもつらかった2019年の振り返りブログを書きました

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ハワイの出雲大社で神頼み2019

人様の年末年始の振り返りブログを見つけるたびに読ませていただいたんですが、やっぱりおもしろいですね。ただ年末年始あんまTwitter見てられなかったので、たぶん流れちゃって読めてないのが結構あるんだろうなぁ…。先日もa-works野山さんが年末書いた記事見つけたし笑

なんか、今年の年末はアフィリエイターさんの振り返りブログ専用のハッシュタグとか付けるようにしてほっしいっす。ねえ最初に書く人、お願いしますね!

まあそんなこんなで、人の記事読んでばっかじゃなくてお前も書けよっていう謎の圧力を千葉方面から受けておりまして、このままだと体中の穴という穴にピーナッツを詰められそうな雰囲気(©某映画)なので、僕も2019年の振り返りと2020年の目標というテーマで久々にブログ更新してみようと思います。

っていうか、このブログあらためて見てみるとめちゃ中途半端になってる記事多いですね…。2016年の振り返りとか途中で終わって3年経ってます笑

2019年分はちゃんと書けるようにがんばる、つもり!

 

2019年前半はSEOがめっちゃ好調

早速ですが前半戦、もうこんなことは二度とないでしょうってくらいSEOの調子が良かったです。普通に運営してたほうが儲かるのにみんななんでサイト売っちゃうの?って正直思ってました笑

 

3月アプデで脱毛サイト撃墜

が、そんな幸福も長くは続きません。まずは脱毛でした。

これは結構大きいワードで軒並み上がっていて、さあこれから繁忙期ってとこだったのでかなり痛かったです。

 しかしまあこのサイトはそれなりの期間アプデもくぐり抜け、当時の「正解」を体現できていたのではないかと思ってはいるのですが、サイト担当はこの下落がかなり効いたようで、泣いて情緒不安定になってしまいかなりかわいそうでした。

 理由なき下落はこういうの生むんだぞわかってんのかGoogle!って言いたいところですが、それも人生。

 10月の熊本セミナーでさやかさん(@kasoutsukablog)に初めてお会いしましたが、「え、あのサイトこまちさんとこだったんですか?」って言われましたそういえば。

 多少は目立つところでそれなりに頑張ってくれてたんですよね。

 

H-1グランプリはじめ、芸人さんとの企画

 AGAのサイトでやったハゲワングランプリは楽しかったです。

芸人さんやグラビアアイドルがたくさん参加してくれた大掛かりな企画だったのはもちろんですが、前年から1年近くひとつの企画に対してしっかりと仕事をしてくれたマジメさんやうちの近藤あきら(とその上司金無さん)の働きには頭が下がる思いです。 

6月に新宿ロフトプラスワンでやった決勝大会イベントには全社員で参加したのはもちろんのこと、裏拳さん(@ex_uraken3)と博士(@hakaseAF)が観に来てくれました。ありがとうございました!

みんなコウメ太夫好きすぎでしょ笑

それからもうひとつ、債務整理の企画で動画撮ってもらったりもしたんですが、公開のタイミングを完全に逸しておりまして未だにどうしたもんかと思っております。このままだと決して安くない費用がドブです(´;ω;`)

こっちの企画でご一緒させていただいたキャプテン渡辺さん(@captain1975)と馬王さん(@baou13)は僕大好きで、また一緒に仕事させていただきたいです。そういう繋がりができたと考えれば100%ドブでもないのか…?笑

 

7/13アプデで金融サイト重症

 次行きます。これはできれば思い出したくもない話なんですが…。

*****

 今も忘れないあの日。早朝ふと目が覚め何気なく検索してみたいつものビッグワード。ここ何ヶ月間も指定席だった、オーガニック枠最上段に見覚えのあるタイトルとファビコンがない。

まじか、え、え?飛んでる…??心拍数がハネ上がり全身の毛穴が開くような、アフィリエイターなら一度は経験したことのあるあの感覚。冷たい汗が背筋を伝う。

落ち着け自分。

とりあえず深呼吸しながら窓の外に視線を移す。あれ?なにこの絶景。…あ、なんだ夢か。

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いやいやそうじゃない。今僕は家族旅行でシンガポールに来ているのだ。ここはマリーナベイサンズの29階。景色が良くて当たり前なのだ。

隣のベッドには妻子の健やかな寝顔。無意識に母のぬくもりをさぐり動く3歳の息子のもみじのような愛おしい手。

思考は一気に現実へと引き戻される。いやこれはガチだ。 飛 ん で い る 。

いやだ、夢なら覚めてくれ。金無さん今すぐドッキリのパネル持ってここに現れてくれ。驚くほど通らないあの声でテッテレ~って言ってくれ…!

***** 

みたいな即興小説ノリで状況を説明したくなるくらい鮮明に覚えています。旅行中に稼ぎ頭がアプデ食らってとてつもなく売上下がりました。

またこれタイミング的に、かわまんさんとmotooさん(@motoo_yamanaka)との対談ブログを編集してるときだったりするわけですよ。

「爆益か爆益じゃないかでいえば、爆益です」

とか完全に調子に乗ってるとしか思えない自分の発言を見ながら号泣しました…。ああ、今日から完全に薄益になってますごめんなさい(´;ω;`) って笑

で、シンガポール旅行中に被害状況を確認したりスタッフとチャットで連絡取り合ったりしてる中、まったく空気を読まずにかわまんさんはブログ記事の編集を進めており、三連休中にもかかわらず謎のスピード感でガンガン確認依頼を上げてくるわけです。

 

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お願いします河田社長、今年は空気読んでくださいね!!

 

そして広告へ

7月のアプデ食らってから、ある決意をします。それは、SEOをいったん捨てること。

もちろん最初はどうやってリカバリーしていこうかを考えました。でも、どんなに考えても良き案が浮かばないのです。

3月のアプデ後の盛り返しで6月は過去最高益に迫るほどの売上を記録できたのですが、だからこそ7月は堪えました。これはもう無理だろ、どうせ同じことの繰り返しだぜっていう斜に構えた僕の中の僕の声が大きくなるばかり。

シンガポールにいる間ずっとモヤモヤ考え、セントーサ島のマーライオンもユニバーサルスタジオも世界最大級と名高い水族館もずっと上の空で過ごした僕の、連休明けに出社して朝イチ金無さんに発した言葉が「広告やろう」でした。

あー、SEOダメになったから広告ね、ハイハイ安パイ乙!って思うじゃないですか?

でもね、弊社にとって「広告やろう」はおいそれと言い出すことができる言葉じゃないんです。だって、過去記事には書きましたが一度広告で会社が潰れかけるような危機がありましたから。

超がつくほどの運用下手だった僕らが広告運用というパンドラの匣に再び手をかけなければいけないほど追い詰められていた、そう理解してください。

正直な話、この段階ではまだSEO頑張って立て直したほうがいいのではないか?という意見もあり、社内の考えは割れていたように思います。だけどもう僕の腹は決まっていました。

大事な岐路に立たされている時って、心の奥底で警戒音が鳴り響いているような感覚があるんです。2時間睡眠で起きないといけない朝、意識の遠くで聞くアラーム音みたいな笑

このときもそうでした。SEOのことを考えると、腹の底からバイブ付きの警報が鳴り響いているような感覚で落ち着きませんでした。

今ならまだ間に合う、引き返せる!深追いしちゃダメだ…って。

今思うにたぶんあの日、あの朝、あのおぞましい検索結果に触れた瞬間にもう…。

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こういうことだったんだと思います。

 そして、それから約1ヶ月後の変動により、SEO経由の売上はさらにもう1段階の落ち込みを見せました。

管理職と一緒にゼロから2019年現在のリス周りとアド周りを勉強し直して、社内メンバーには大幅な方針変更を余儀なくされたことを時間をかけて伝え、まことに勝手ながら外注さんとの契約を断腸の思いで8割以上終了させていただき、ASPさんに相談しながら参入ジャンル決めをしたり案件調整をしてもらい、アカウント開設などの実務面も整えてようやく広告出稿を開始し始めた頃に、です。

これを受けて、金無さんと会議室で「ほんとにあのタイミングで広告運用ほぼ全振りに舵を切っておいてよかったね…。」的な話をしたことを今でも覚えています。

ここ1ヶ月の動きを今このタイミングでイチからやれって言われたら相当に焦りながら動かないといけないし、落ち着いてみんなに説明したり勉強しようなんて気分ではとてもいられないよね、などしみじみと。

それなりの人数で動いている仕事の方向性を一気に変えるためにはとんでもないパワーが必要なんだなということを痛感しました。お金もかかるし時間もかかる。

でも結果的にあの決断は間違ってなかったということでしたね。人間一度修羅場をくぐり抜けると、同じ轍を踏まないような警報装置が心に装備されるみたいです笑

 

組織みまもりの苦行

それからこれは僕の年間を通したテーマでもあったのですが、とにかく社内の色んなことに口を出さないということにチャレンジしました。方向性をザックリ示すことはもちろんしましたが、現場のことには極力口を出さない。

以前の記事にも書いたことですが、組織の多階層化というのが弊社の大きな課題だとずっと考えていて、これ自体は2018年くらいから本格的に始めました。いつもTwitterでいじってるおなじみの金無さん(@kannenashi)と、もうひとりマロさん(@marorinn0730)という女性のツートップで事業部をひとつずつ仕切ってもらう形態です。

うちのスタッフってみんな素直でよく言うことを聞いてくれる反面、突き抜けたアイデアを出してきたりのびのびと自由に働いている感を醸し出している子がいないというのがちょっとした悩みだったんですよ。ベンチャー感がないというか…。

このままワンマン路線でいったところで僕の器以上の会社にはならないでしょという危機感がずっとあって、管理職にはいつもそういう話をしてきたつもりだったけどイマイチ伝わらない。結局社長に決めてもらうことを無意識に待ってるんですみんな。

いやそれは組織として当たり前だから誰も悪くないんだけど、それなら仕組みを変えるしかない、もう俺何も言わねえからな!っていう荒療治をいきなり始めたという笑

ちなみにこれ、俺はもう何もしないからあとはみんな勝手に頑張ってね~という放置スタイルではないです。よく、「俺の仕事は人に会うことだ」とか言いながら全然姿を現さず飲み歩いてる社長がいますけど、うちみたいな脆弱な基盤の組織でそんなことしてたらほどなく離散、破産、倒産だと思います。6年前にそんな過ちを犯しそうになったなった僕が言うんだから間違いありません笑

僕の見守りは、文字通り見守りです。毎日誰よりも早く会社に行き、見守るんですよ。…まあ帰るのも早いんですが。

会社が進むべき大きな方向性の話をする。だけどそこに向かってどんな段取りを組むかは任せるね、見てるからねというスタイル。

SEOの状況とか、例えばコアアプデや小規模変動があったときにどんな特徴があったのか、どんなサイトが上がってきてるのか?下がってしまったサイトは?そこから考えてどんな方針で今後進めていけばいいか?的な指針を僕が示すのを意識的にやめたということです。なので、朝礼などで僕がみんなに話すことは抽象的なことばかりだったように思います。

 具体例を示すために2019/3/13のコアアップデート後に僕が社内向けに話したときのメモを貼っておきます。

*****

 ある生物種が生き残って子孫を残そうとする時、他種生物と競合して争うことを『淘汰圧』と呼ぶ。環境依存。

GoogleのアップデートはGoogle自らが生き残るために行われることであり、僕らにとっては淘汰圧。

環境に適応するために生物がこれまでにやってきたことは突然変異。キリンの首の話も、なぜ宗教はあるか?人は神を見るか?についても結局は突然変異だった。突然変異をおこさなければ進化できないし、生き残れない。

ガラパゴス諸島のような閉鎖的な環境で進化・発展して生き残った生物がいるように、現環境(Google)から逃れて別ビジネスを始めるというのもひとつのアプローチで全然あり。

ただ今回はこの淘汰圧としっかり向き合って戦い進化していくための方法として、弁証法的なアプローチが大事だろうということを思った。

現状の延長線上に成長はない。

現状維持は退化のはじまり。

めんどくさいことをやろう。今のサイトにないものを取り入れる、挑戦する。

日々の仕事でめんどくさいからやりたくないことや変化を嫌う気持ちはわかるが、それでは絶対に成長がない。

メディアと名乗るのだから既存紙媒体、マスコミなどのメディアを全否定してはダメ。一度作ったらそのままで良いという考え方がナンセンス。

なんちゃってメディアではダメ。都合の良いときだけメディア面して、めんどくさいときは「とはいえwebなんで」を言い訳にしたくない。

紙媒体にはないメリットという考え方、ともすれば不労所得という言葉がチラつくがそうじゃない。これは甘えであり怠惰。

webメディアと既存メディアを止揚する。ジンテーゼは何か?を探る。考える。

「偶然的な運の祝福をゲームにまで止揚(しよう)してみせるのが賭博というものなのである。」
―寺山修司[てらやま・しゅうじ](劇作家・詩人・歌人、1935~1983)

『書を捨てよ、町へ出よう』の一節。  

*****

これ一番言いたかった部分を切り取ったものなのでなんだかよくわからないかもしれませんが、前提となる話や用語解説などを含め1時間くらい話したのかな。

この3月のアプデでは上にも書きましたが美容系のサイトが大きく影響を受けていて、長きにわたり上位にいたページが軒並み下落してしまったパターンが多く担当もへこんでいたんですよね。だから、これまで良かったものを壊しに来ているのは淘汰圧なんだから視点を変えて打開策を考えてみようよというメッセージを色んな例えを織り交ぜながら伝えたというわけです。

伝えたかったことは去年やったかわまんさんとの対談記事で話したこの部分で、わりとシンプルな話なんですけどね。

今って、前みたいに一度上がったら年単位で安泰みたいなことがないじゃないですか。ミドル以上のワードだと特に。 平気でアップデートのたびにガラッと入れ替わったりしますけど、自分のサイトが落ちて代わりに上がってきたサイトも結局同じようなコンテンツで(笑) だから誰が書いても同じようになるランキングコンテンツなんかは情報の鮮度を死ぬほど研ぎ澄ませつつ、別の読ませるコンテンツがめちゃ尖ってるっていうところを目指していかないといけなくなってるというか。 でもそれって雑誌の特集とか見てると当たり前だなって思うんですよ。同じような企画を年に何回も組んでるじゃないですか、そのたびにちゃんと取材し直して。 そんなレベルでの情報精査がWebにも求められているような気がしています。

週1海外旅行左うちわモードのこまち社長&コンテンツマーケのマジメ社山中社長に爆益の秘訣を聞いてきたよinカワマンビル(前編) - 青信号日記

当時マクロとミクロを行き来ながら目の前で起こっていることを最適化していこうみたいな考え方の本を読んでたので、そっち寄りに振れてて今読むと恥ずかしいメモですが笑

※あとこの後にSEOいったん置いとくことになった上に、現状だとまたちょっと考えてること変わってるというのもあります。

とにかく、伝わろうが伝わらなかろうが僕は自分が考えていることをみんなにどんどん話そう、伝えようということを意識しました。まずは話すことが大事だと信じて。

つい先日も2019年の流行語大賞になった「ワンチーム」について思うことを話しました。これから求められる力ってなんだろう?という話です。社内での僕の位置づけなんて「話の長い校長」程度の認識でいいやと思って、思いついたことを語るようにしています。

そうやって僕が考えている会社の方向性をみんなに向けてじっくり話して(抽象的な話ばかりですが)、じゃあ実現のためには具体的にどんな施策を打っていくか?各自がどんな持ち場を担当するか?を各サイトに落とし込んで考え話し合ってもらい、金無さんとマロさんから報告してもらう。

それぞれの施策についてのアドバイスはするけど基本的にはチームで役割分担決めて頑張ってねと。とにかくこれを繰り返しました。

こういう見守りスタイルだったわけですが、まあ僕も大変なわけですよ。最初は口を出したいことが多すぎてストレスが溜まりまくりでしたし、報告を受けた内容に対して意見することも多かったです。決めてきたことをひっくり返してチームミーティングやり直して、僕も入って計画練り直しをしたこともありました。あれは本当に苦行。

そう、苦行だったんですが、そんな苦行を1年続けてきた今では、二人が決めてきたことに対してふんふん頷いていいじゃんよろしくねって言うだけというケースがほとんどです。

広告に舵を切った後も僕は実務にはほとんど携わっていません。ツートップがたいへん頼もしく思えますし、さらに若手が頭角を現してきているのもひしひしと感じます。

2019年は「立場が人を作る」という言葉が本当に五臓六腑に染み渡って落ちました。みんなよく頑張ったし成長してくれたと思います。

 

プライベートは旅行漬け

 さて、ここからはプライベートの話なので興味ない方は離脱おすすめです。例のごとく長くなってきてしまいました…。

2019年は知っている人に会えばかなり高確率で「旅行いきすぎでしょw」って言われた気がします。それくらい飛行機乗りました。

最大の目的としては、育児の一貫なんですよね。…いや言い訳じゃなくて笑

子どもの脳育には7歳までの経験がとても大事ということが色んなとこで言われているのですが、僕がこれまでに読んだ本、聞いた話などから総合的に考えると最優先すべき事項は運動と旅行だなという結論にまずは至ったんです。詳しいことは端折ります、興味ある人は直接会ったときにでも聞いてください。

運動はスポーツ幼稚園に入れることで解決しました。朝イチまず2キロ走ることから始まって、夕方までマット運動から器械体操、陸上、水泳、球技にいたるまでまんべんなくめちゃ運動させてくれますし、年少から親なしで3泊4日のスキーキャンプとか連れて行ってくれます。頑張れ我が子よ。

 で、もうひとつの旅行(というか色々な風景を見せる、肌で感じさせること)に関しては親が連れて行くほかありません。幸いにして僕も嫁も旅行好きですし、せっかくだからこの機会に詰め込んじゃおうということで、いわゆるSFC修行(ANAのステータス取得)を家族でやりつつ行きたいとこにどんどん行っちゃえばいいじゃないかという企画を2018年の秋に立案、2019年1年がかりで実行したというわけです。 

ほんとはダイヤモンドという最上位ステータスまで取得したかったんですが、やはり幼児連れだと発熱などのトラブルも多くて2回搭乗キャンセルしてしまい(さらに台風で欠航というのも1度あり)辿り着けませんでした。

2月まではまずまず順調に予定消化できましたが、3月にシンガポールを発熱で当日キャンセルしたのを皮切りに春はトラブル続きでした。GWにプーケットで子どもがインフルになって病院に行ったり、6月には北京で僕が食中毒で病院行ったり…。

そういえば僕は平成から令和の切り替わりをプーケットで迎えたのですが、インフルで行った病院の先生が「Happy! REIWA」って笑顔で言ってきてくれたりして、ああ海外でも注目度あるんだなって思いました。外国で日本の出来事に触れると少し嬉しくなってしまうのはやはり愛国心というやつでしょうか。

北京の病院の人たちは弱った僕(そして言葉も全く通じない)にとても優しくしてくれて、ちょっとだけ中国のこと好きになりかけましたが、そもそも大通りにある有名店で食中毒とかありえないだろ!と思い直しました笑

そしてこの一連の海外通院では、カードに付帯している海外旅行保険のありがたみを実感しました。明細を見る限り合計で30万近く医療費がかかったはずですが、完全に無料。アメックスのコンシェルジュに電話しただけで近隣病院探しと通訳の手配までしてくれて支払いはキャッシュレスのおまけつき。先に支払って帰国後書類で申請などのめんどくさい流れも一切ありませんでした。海外派には本当におすすめですアメックス(→お申込みはこちらw)。

ただ全体的なスケジュールの組み方としては大いに反省点ありで、そもそも4月から幼稚園に入園したばかりの3歳児を毎週のように週末旅行に連れ回したらそりゃ熱も出すわっていう。いちおう入園する4月には予定入れないようにしていたんですけどね…。見立てが甘かったです。

子どもにはキツイ思いをさせて申し訳なかったなーと思う反面、でも本人は熱出しながらも毎週めっちゃ楽しそうにしてたのでやっぱり連れて行って正解でした!

ただちょっと問題なのが、最近日曜の午後とかにいきなり「パパ、沖縄行こう?飛行機乗って!」とか時空を超えたリクエストを公園で遊ぼう的なノリで繰り出すようになってしまったことですかね。美ら海水族館とかワイキキビーチとか、全部近所にあると思ってそうなフシがあります笑

僕ら大人としても自分たちが一緒に楽しむことを念頭に行き先をチョイスしましたので、心の底から楽しむことができました。

沖縄のブセナテラスで本当に偶然ジジくん(@jiji_afi23)に会ったり、

念願のエアバスA380(フライングホヌ)に乗ってハワイに行ったり。個人的にはもうホヌはいいかな…と思いはしましたけど笑

横浜からなら絶対羽田発着便をチョイスしたほうがすべての面において良いことは間違いないと思います。A380にこの上ないプライオリティを感じている人以外は。

1年間のSFC修行費用捻出に関しては、カードで貯めたマイルやポイ活、楽天経済圏やふるさと納税の旅行券などを駆使しましたので、かなりお得に行けたと自負しています。いろいろ調べて僕自身めちゃ勉強になりましたしね。

個人的には日本旅行のギフトカードの使い勝手がよかったです。天橋立と函館の旅館で利用させてもらいましたが、どちらもめちゃ良かったです。お客様評価80点以上みたいなとこから選ぶと外さない気がします。ただ、あのギフトカードは利用の手続きがめんどくさいという難点があるんですけどね…。

いや、というかそもそももうふるさと納税で旅行券自体もらえないんだった笑

 

実家のこと

 これは書くかどうか迷ったんですが、いつか自分で読み返すときのために残しておきます。

最近名古屋の実家に帰ってるツイートをよくしてまして、何しに行ってるかといえば母親の介護の手伝いなんです。

うちの母親は認知症です。一緒に暮らしている父が面倒を見ていましたが、2年前にその父が喉頭がんになってしまい手術で声帯を摘出して声が出せなくなり、介護にも不都合が生じるようになってしまったという、絵に書いたような介護クライシスです。

最初異変に気づいたのは2013年だったように記憶していますが、母はもともと同じことを何度も話すようなタイプだったので、いつかそういう日が来るのではないかという覚悟はしていたんですよ。例えば「今日は晩ご飯うちで食べる?」を何回も聞いてくるとか、そういうのはもう10年以上前からあったので。

だけど決定的に危機感を覚えたのが、今しがた電話で伝えたことが覚えられずすぐにまた電話をかけてくるということがあったときです。「今の電話の要件、なんだっけ?」ってやつ。あのときはショックだったなぁ…。来るべきときがついに来たか、と。

それで父と話し、なんとか嫌がる本人をなだめすかして物忘れ外来を受診するようになったもののそれでも徐々に症状は進行していき、一緒に暮らしている父が面倒を見れているうちはよかったけど病気になって一気にすべてが瓦解してしまうという、なんか聞いたことある話じゃないですか?笑

そんなよくある話が我が実家にも降りかかってきたのです。

認知症とひとことで言っても症状は本当に千差万別で、うちの母は不安感が強くなってひどく動揺してしまうような症状が出たり、認知症の定番とも言える徘徊行動が出たりします。だから声が出せない父では制御ができないんですよね。困ったことになりました。足腰がしっかりしてる認知症患者は本当に光の速さでいなくなりますから。

時系列は前後しますが、まだ父がバリバリ元気に面倒を見れていた頃、ちょっと目を話したスキに自転車に乗ってお隣の岐阜県にまで行ってしまったこともありました。移動距離実に数十キロ…。おかん元気すぎるだろと笑

僕はそのとき横浜にいて、まだ病気になる前の父と1時間おきくらいに電話して「見つかった?」「いやまだ」の繰り返しで気を揉むことしかできなかったんですが、21時過ぎに本人がコンビニから家の場所がわからなくなったから悪いけど迎えに来てって電話をかけてきたことでようやく発見に至ったという。状況聞いてみたら途中で雨に降られたり転んだっぽい傷があったりしたみたいで、本人も自分がどこにいるかわからなくなった不安と戦いながら、それでも帰ろうと頑張って力尽きたんだろうなぁっていうのがめちゃ伝わってきて…。もう母がかわいそうすぎて、コッソリ泣いてたら奥さんに見つかって何も言わず一緒に泣いてくれた、なんて今では良き思い出ですが今思い出したことでまた泣けてきました…( ;∀;) イイハナシダナー

そんな元気な認知症患者が手に負えなくなれば、介護サービスの手を借りるしかありません。父は嫌がりましたが(なぜか介護当事者って介護サービスを使うことを拒否することが多いらしいのですが、うちの父も典型的なそのタイプでした)、いやいやあんた自分の病気で手一杯だろということで無理やり地域の包括支援センターに連れて行き、様々な煩雑な手続きを経てなんとか小規模多機能ホームの利用を決めたのが2年前。それからは落ち着いていたのですが、去年の秋くらいからさらに母の症状が進んだ感があり、小規模多機能ホームでは面倒を見きれないという連絡をもらうに至り、新たな施設探しや精神科への一時入院の手配などを行っているというのが現状です。

 で、これだけ長く親の介護問題に関わっていると思うこともそりゃいろいろと出てくるわけですよ。

最初はやはりおかんの認知症がなんとか良くなるように、改善するようにっていう意識だけで情報集めたりしていました。だけど最近は症状の改善に対してそこまで強く望むことはなくなったかな。いやもちろんよくなってくれるならそれが一番なんですけどね。

だってちょっと考えてみてください、ちょっとサプリ飲ませたりするだけで認知症患者がみんなよくなるのであれば、こんなに多くの人が介護施設を必要とするわけがないじゃないですか。みんな廃業しちゃう。

なので僕は、改善に対して最善は尽くすけどそこまで期待はしないことにしています。それよりももっと大事なことがある。

この2つのツイートで今後の方向性が完全に見えたんですが、親とも息子とも悔いのないよう真剣に向き合いたいのです。

うちの息子はまだ4歳だし、ほんとはまだ母親にいろいろと聞きたいことがあります。僕が同じくらいだった時との比較とか、どんなことを考えて僕を育ててくれていたのか、とか。今だからこそ刺さることって絶対たくさんあるはずじゃないですか。だけどもはやそれは叶わぬ願いです。薬の影響もあってか、最近の母親は車椅子に座り、話しかけても穏やかにぼんやりと微笑んで相槌を打つだけということが増えました。

あまり考えたくはないけれど、母の命の期限というものが見えてきた気がします。

息子と接していて、公園で遊んだりドラクエやったり勉強を教えたりたまにケンカしたりして、ああ母もこんな気持ちだったのかな?って想像してみたりして、それがすごく幸せだったりします。コイツにこうやっていっぱい幸せをもらっているから、もしこの先ちょっとくらい苦労をかけられたりしたって全然苦じゃないよって。先に幸せをたくさんもらってるよって。

「まだお子さん小さいのに親御さんそんなことになって大変ですねぇ」っていう雰囲気の同情的な言葉をいただくこともたまにありますが、いやいや全然そんなことはないです。こういうことに気づくきっかけになって感謝してるくらいで。

もちろん僕が今の母に関われることってそんなに多いわけじゃないですが、認知症になる前のチャキチャキ元気だったおかんの幻影に囚われることなく、今の母と向き合っていこう、少しでも焼き付けておこう、話をしておこうって最近は強く思っています。

 

というわけで、2019年のまとめ

すみません、話がとりとめなくなってきてしまいました。

振り返ってみると、2019年は自分的にかなりガマンの年でした。結果的にSEOもこれからやりたいことがたくさんあったにもかかわらず中途半端なまま置いてしまっていますし、広告運用だって最初の3ヶ月はSEOが調子良かった時期のアドバンテージを切り崩しながら回す状態が続きました。

だけど、社内は確実に変わってきています。以前はあんなに頑張ってもうまくいかなかった広告運用が今回4ヶ月目にして黒字転換できました。血で血を洗う激戦ジャンルでですよ。

もちろんまだまだ金額は大きくありませんが、着実に利益を積んでいける下地ができてきています。ようやく、勝負はこれからだぜって思えるところまで来れたような気がしています。

そしてこの状況は、今までのような僕主導で作ってきたことではありません。金無さん・マロさんはじめ、その他の若手も頭角を現してきたからこそできたことです。

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 さあ2020年、反撃の狼煙が上がります!

 

※こまち先生の次回作にご期待ください!!(また長くなったんで2020年展望というか目標は次回、早めに書きます笑)